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【アニメ感想】進撃の巨人 印象に残ったシーン

今更ではあるんですが進撃の巨人を最終回まで見ました。
21世紀のアニメ、漫画史に刻まれるであろうこの作品だと思いますが、僕は最終回を見終わった夜は作品から送られるメッセージに思いを馳せて眠れない時間を過ごしました。
エレンはあの時どう考えていたんだろうとか、結局イェーガー派に正義はあったのかとか、、
色々考えたことはあったのですが、特に印象に残った場面について語りたいと思います。

53話 エルヴィンが新兵に特攻を強いるために演説するシーン

全くもって無意味だ。どんなに夢や希望を持っていても、幸福な人生を送ることができたとしても、岩で体を砕かれても同じだ。人はいずれ死ぬ。
ならば人生には意味はないのか。そもそも生まれてきたことに意味はなかったのか。死んだ仲間もそうなのか。あの兵士達も無意味だったのか。
いや違う!あの兵士達に意味を与えるのは我々だ!あの勇敢な死者を、哀れな死者を、想うことができるのは、生者である我々だ!我々はここで死に、次の生者に意味を託す!
それこそ唯一、この残酷な世界に争う術なのだ!

夢を諦めて死を覚悟したエルヴィンが、今まで死んだ仲間達の功績を無駄にしないために「我々はここで死に、次の生者に意味を託す!」と言って特攻を仕掛ける。
このシーンがあるから進撃の巨人が名作になってると思うくらい印象に残ってます。。大袈裟な表現をしますが、自分が毎日を生きるための勇気を与えてくれた。

自分がいずれ死んで目の前の景色を意識することもできない時が来る。広い視点で見て今生きてる自分は何の意味があるんだろうと時々思います。
死を目前にした新兵達がこのエルヴィンの言葉に呼応して特攻を仕掛けるのを見て、人生の意味を改めて考えるきっかけになりました。。

13話 エレンが巨人に侵攻されて壊された壁の穴を塞ぐシーン

戦え!

この時のエレンの言葉は人を勇気づける力があると想う。
印象的なのはエレンが「どれだけ世界が残酷でも関係ない!」と言ってる横で、さっきまでかっこよかった上官が巨人に喰われているところ。
こんな残酷なことないのに、エレンの言葉はその残酷な世界に立ち向かう強さを感じる。

85話 コニーがダズを撃ち抜くシーン

「俺たちは仲間じゃないのかよ!?」

「お前達は仲間だよ!!でも、、俺は、、!」

このシーン、やってることが地獄すぎてやばい。

正直言うと、イェーガー派の思想の「今まで侵略してきた奴らを全員滅ぼす」というのは僕は共感できる。
ずっと巨人に侵略されて身内や仲間を無惨な姿で屠られているのを見てきていて。それは壁の外の人間が自分たちを滅ぼそうとしていたのが原因だったことが判明して。さらにパラディ島への巨大な侵攻作戦が開始される。こんな状況で島の外の人間を滅ぼす力があるとなったらそれを行使するのは自然な思考に感じる。

むしろ個人的にはアルミンたちのように、すっぱりそれを悪だと断罪できたことに違和感感じるくらい。

どっちの言い分もわかるが故に、この仲間同士で銃を向けている状況があまりに切なすぎる、、。

終わり

見終わったあとに心に問いかけてくるメッセージが非常に強いアニメだった。
しばらく進撃の巨人について考えて眠れない日々が続くかもしれない。
面白いという単純な一言ではまとめられないというのが一言の感想になる

ではまた。(´∀`)ノシ